試験が終わったらやろうと思っていたことがたくさんあった筈なのに実際に終わってみると何をするにも億劫になっている自分がいた。
そうはいっても奈良にも京都にも行ったし、デング熱が話題になっている頃代々木公園の脇を通ってNHKホールにも通った。その分美術館巡りはほとんどせず、図書館で予約していた本の順番が回ってきても断念した。友人と会う機会、バレエ、ショッピング・・・確かに減った。
やろうと思っていたことがたくさんあり過ぎて何から手をつけていいのか、わからない部分もある。
それに諦める、ということを身をもって学んだのかもしれない。
この半年の間の一番の出来事は母の手術だった。腰の手術でそれ自体は成功だった筈なのに全身麻酔で胃腸をやられ、危ないところだったし、退院も遅れて奈良へ行くギリギリになってしまった。母を見ていると生きていくということはそれ自体が闘いなのだなって改めて痛感した。
そんなこともあって、何かあっても積極的にチケットを取ることに執着しなくなった気がする。逆にチケットが確保できても無事に行けるかどうか当日まで不安になった。(実は熊川さんの公演と母の手術が重なって観に行けなかった。)試験勉強があるから積極的にチケット取りができなくて友人に頼んだ平安神宮ライブも外れた時、お仲間さんから譲って頂こうかと考えた時もドタキャンすると却って失礼と思い、一般発売で1日分だけ確保した。
− だから、1口で第3希望まで書いて申し込んだ小喜利が落選した時も今までになく冷静に受け止めた。ただ、国際フォーラムでのライブの時だけ一瞬やっぱり行きたい!って思った。でもそれも日が経つにつれて諦めに染まっていった。一般発売もどうせ駄目だろうと予想はしていた。
かつて海外まで頑張って追っかけをして自分もようやく現実を受け止めるようになったのか、これは年のせいかもしれないなと思ったりもする。
でも、世間が小喜利ではしゃいでいる間はなりを潜めていようと思う所はまだ「悟り」の境地には達していないのだろうな。