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日記・一般 「Shock」1000回イベントをWS等でざっと見て気になったこと。
ある番組でインタビューが放送された時に剛くんについて「ここに来ることに迷った」等のコメントについてはその通り!と思ったのだけど、その後の「恐縮してた」については?
まさか光一さん、自分が作り上げた舞台に相方というだけでのこのこ来ることに対して迷って、恐縮したなんて勘違いしていないよね?
剛くんが自分が出ていけば堂本光一が作り上げたものがkinki kids になってしまうと言ったのは東くん達が「卒業」して光一さんが単独の座長になった最初の年だったよね。まだ光一さんが「剛くんが自分の所へ来てくれない」等Mステで話していた頃だった。
それから剛くんがソロ活動を本格的に始めるようになった時に光一さん自身がSMGOで「楽屋へも足を踏み入れられなかった」等と書いたのはsi:コンの時だった、と記憶している。
そしてお互いのソロ活動へ踏み入れることはなくなった。
でも、今回改めて思った。やっぱり「Shock」はジャニーズのkinkiの堂本光一としてやっているものだから剛くんはある意味、嫌でも巻き込まれずにはいられないのだと。
思えば、1000回の最初の1,2年はかなり駆り出されていたし、前にも書いたけどそれまで二人でやっていたラジオを一人でやるようになったのもあれからだ。上演中はkinkiとしてのCDリリース、プロモーションはできない。いわば、kinkiの活動を制限の上に成り立ったと言ったらオーバーだろうか。後輩君達を売り込む間に「Shock」をやらせておけばいいという考えが事務所にあるのかもしれないが・・・。
それにしても元日コンのお誕生会といい、光一さんというのは本当にいつもいろいろやってもらって幸せな人だなって思う。その幸せを彼は理解しているのだろうか?それを表現することも必要だと思う。
たとえば、海外のオスカーやグラミーの受賞者は必ずと言っていいほど家族や友人への感謝をスピーチに入れている。作家や学者だって著書のあとがきで家族のサポートへの謝意を表している。今回の彼のスピーチを聴いていないのでわからないけど、剛くんへの感謝の一言もあっていいと思うのだけど、どうだったのだろうか・・・、あったと思いたい。
そしてもうひとつ。WSで見た中で印象的だったのはステージ上の剛くんが上を見上げて、おそらく劇場全体を見回していたこと。かつて拒絶した、その世界は彼の瞳にどう映ったのだろうか。人間にはないものねだりとか、他人の芝生はよく見えたりするけれど、華やかな栄光の世界に、ほんの一瞬でも「後悔」はあったのだろうか?
おそらく、舞台そのものには興味も未練もまったくないだろう。
ただ、舞台を断ったことで事務所での待遇はあれほど変わるとは思っていなかったに違いない。
それでも、やっぱり彼には一瞬たりとも、後悔はなかったような気がする。
そんなことを想いながら先週、24(つよ)の日に横浜、みなとみらい地区へ行った。
あれから毎年この季節には足を運んでいる。
街の景色もどんどん変わっていって一瞬迷ったような錯覚にさえ陥る。
あの100回ライブの跡は少しばかり狭くなり、こうして「何もない」状態は彼の故郷、平城宮跡を思い起こさせる。ここも、あそこもどんどん狭められてきてはいる。
それでも、ここに立つとあの時を思い出さずにはいられない。そしてここへ足を運ばずにはいられない。
記録よりも、記憶に残る。 そんな言葉をかみしめた週だった。