JUGEMテーマ:
日記・一般 昨日はマイケルの誕生日。彼がこの世に生を受けて素晴らしい感動を残してくれたことに改めて感謝する。そして10年以上に渡って彼の生のステージを目にすることができたことを幸せに思う。
いつの間にか、彼が到達することのできなかった「時間」を自分が踏みしめ始めていることを不思議に思う。
とはいえ彼を封印してから、リアルタイムでアンテナを張って彼を追い求めていた時期からはだいぶたっている。だから今もそんなにチェックしているわけではない。
久しぶりにマイケル関連の情報をチェックして初めて、 かつて彼のマネージャーだったフランク・ディレオ氏が24日63歳でこの世を去っていたことを知った。
ディレオさんは私にとっても思い出深い人だった。
87年マイケルがソロとして初来日公演をやった時、一カ月もの滞在の間に思い立ってファン中元あるプレゼントを共同製作をした。最後の大阪公演の際に渡そうと私が代表してそのプレゼントを完成させ預かり、大阪まで乗り込んだ。
彼が滞在していたホテルニューオータニのロビーでディレオさんを見つけ、あわててそのプレゼントを渡し、マイケルへ届けてもらうようにお願いした。ディレオさんはちょっと驚いて、でも笑顔でそれを受け取ってくれ、私はその勢いで握手をしてもらった。
その後、ハードコア追っかけのグループも似たようなプレゼントを渡したことを新聞記事で知った。が、その際にも同じようなものを大阪のファンが渡したという一文が目にとまった。おそらく私のことだ。だから正確には大阪のファンではなく、関東と東北のファンが大阪で渡した、だ。私たちはそのグループのようにメディアにコネがあるわけではなかったから、関係者が話さない限り新聞ネタになるわけはなかった。それが出たということは間違いなく、関係者の間で話題になったということ、確実に彼に渡ったということだろうと解釈した。そんなこともあって、当時のコンレポで私はディレオさんのことを太ったキューピッドと表現していたと記憶している。
彼と弁護士のジョン・ブランカ、それにクィンシー・ジョーンズと別れてから、マイケルのキャリアは躓いた。当時何度もマイケルが騙されることなく、新しいスタッフが誠実であるようにと何度祈ったことか。
どんなに才能と魅力に溢れた人でもスタッフに恵まれなければ十分に輝くことはできない。そのことは剛くんも同様だ。
でもそれは叶わず、あの忌まわしいスキャンダルの時、何度ももし彼らがいたらあれほどの騒ぎにはならなかっただろうと歯痒かった。
今さら考えても仕方のないことだけど、もし彼らがそばにいてマイケルがあれだけのダメージを受けることがなかったら、その後のマイケルのキャリアは全く違っていたに違いない。私が彼のもとを離れることもなかったかもしれない。もし、そんな状態で剛くんと出会っていたら私はどう感じたのだろうか・・・・。
すべては仮定の話、だ。
最後の、幻となってしまったThis is it公演の際には、彼はマネージャーとして戻っていたらしい。彼のことが心配でプレスリーの娘が登場した時点でマイケルはジョンとよりを戻したに違いない、と推測していた。
だとしたら、マイケルはその晩年を全盛期のスタッフに囲まれて、あの頃のように前進していたのだろう。そう考えると、悔しさもあるけど、ほんの少し安心する。
同時に哀惜の念、といってしまえばそれまでだけど、自分もそれなりに活動していた時代が本当に過去になっていくのだなって、改めて「年」を感じてしまう。みんな、あんまりにも早過ぎる。まだそんなに老いてなかったはずなのに。
この想いは週末の平安神宮が癒してくれる、と信じている。