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日記・一般 昨夜は剛くんライブの思わぬニュースにびっくり。
あわててホテルを探したが、当然乗り遅れた。とりあえず3日だけ確保した。
でも、現時点ではそんなにあわてていない。毎度のことながら日が経つにつれてダブルブッキング等でキャンセルがふえてくる。昨年も1週間前にとれなかった2日目を確保、初日のホテルではチェックインした際に連泊も可能と言われた。
それ以前の問題としてまだ正式な発表もチケット発売もない。それからの問題だ。
ただ、もしこの発表がもう少し前に行われていたら私は現在の職場へ辞表を提出しただろうか、そのタイミングは違っていたのではないか、とは思う。
先週末には「頑張る」という言葉がキーワードだった。
剛くんがラジオで語っていた。すでに十分頑張っている人、過酷な状況になる人には言えない。それについては前にも書いたと思うけど、まったく同感。言われる立場、というより言う側の立場として自分がその言葉で逃れてしまえているような罪の意識を逆に感じたりもする。宮根さんも被災地をレポした後に、そんなニュアンスのことを語っていたのをテレビで見た気がした。
それとは別に意外だったのは剛くんがライブで「頑張ります」と挨拶したら後で社長に怒られたというエピソードを語ったこと。なにしろ、あの事務所にかかわらず「頑張るから暖かく見守って」というのが、アイドルの定説みたいに思っていた。まあ、頑張るのが売りだから自ら口にするなということか。
そういえば、私がKinkiコンに通い始めた10年前くらいは総動員していたバックのジュニア達を見て「頑張っている」という感じの子は少なくて、終演後洋楽ライブ仲間の友人と「私がジャニーだったらあの子は明日からステージには上げない」なんて話していたっけ。
その翌日は久しぶりだが、社員時代の仲間たちと恒例のお花見。新宿御苑はソメイヨシノが終わって八重桜だったが、それでもけっこう人が出ていた。
こんなふうに桜の下でお弁当を広げてのんびりできるような日がまた東北にも訪れて欲しいって話をした。
集まったメンバーの一人が私と時期を同じくして退職することになったという。介護の仕事をしている彼女は仕事よりも職場の環境や人間関係に限界を感じて決めたという。
私も現在の収入や身分を捨てるのは惜しいけれど、そんなものはそれ以前のレベルに戻れればもう十分かもしれない。なんて話をしたら、ある友人が「私たちくらいの年になったらもうそんなに頑張らなくてもいい」と口にした。が、それにはちょっと?と思った。なにしろ、今から5年以上も前、偶然にもその時のメンバー全員が失業状態だったことがある。その時その彼女が「私たちくらいになったらもうそんなに働かなくてもいい」みたいなことを言ってやはり驚いたことがある。他のメンバーと違って私と彼女は独身だから自分の収入と財産でまだまだ先のわずかな年金をもらえるまでしのがなければいけないのに、と訝しく思ったことがあったのだ。
それから現在まで彼女は口癖のように「「これを気にゆっくり休む」といい。こちらからすればいつ活動するのかと思うくらい、(あるいは口に出して言ったかもしれない)歯がゆく、そんな姿勢がさらに事態を悪化させるかのように身体のトラブルに見舞われた。だから実際にあったのは2年ぶり、ここ1年は乳がんの手術後の治療で苦しみ電車に乗るのも久しぶりとのことだった。
今、彼女に頑張れという気はない。頑張れ、あるいは頑張る、というのはその人の置かれている状況とか状態によるのだろうな。
それではわが身に置き換えたら、どうだろうか。
私はまだまだ頑張れるし、頑張らなければいけない立場だと思う。これまでだってもっと頑張ってこれた筈だし、頑張れなかった自分を後悔している部分もある。
剛くんんのリリックにもよく出てくるけど「負けない」「まだ終わらない」といったキーワードは私もよく使う。疲れた時は休むこと、ここは駄目と思った時は身を引くことも必要だと思う。でも、自分で自分に限界を作り、甘やかしたらあとは先の友人のようにどんどん落ちて行ってしまうような気もする。
まだ、ゲームは終わらない、終わらせたくない。